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広島城

広島城は、広島市の中心部に位置し、広島湾を見下ろす高台に築かれた城です。広島城は、四境戦争、特に芸州口の戦いにおいて、幕府軍の物資の集積地としても重要な役割を果たしました。広島城は、幕府軍の兵士が使用する武器や弾薬、そして、兵士が食べる食料などの物資を貯蔵していました。
紀伊藩、彦根藩、与板藩、高田藩など総勢3万の軍勢が集結したといわれています。
四境之役 封境之地

「第二次長州征伐」は長州側(山口県)では「四境の役」と呼び、「芸州口の戦い」の舞台、小瀬川の右岸の石碑は長州軍が幕府軍を長州側(和木町側)に一兵も入れることなく封じ込めたことを今に残しています。
西念寺

芸州口の戦いにおいて長州藩の本陣が置かれました。これを知った幕府軍は宮島から軍艦を近づけ西念寺に向けて艦砲射撃を行いました。この砲弾が本堂入り口上部の肘木にに着弾し、今もその跡が残っています。
顕徳寺

幕府方である彦根藩と与板藩、高田藩がここに陣をおきました。うち、彦根藩兵500は大瀧神社方面へ進軍します。この彦根軍は小瀬川を渡ろうとしましたが、長州藩の壮絶な銃撃を受け大打撃を受けることになります。
苦の坂

1866年(慶応2年)の長州征伐で、幕府軍と長州軍が激戦を繰り広げた地です。苦の坂古戦場は、当時のままの状況を残している貴重な史跡です。
6月13日、幕府の高田軍1,000の兵が立戸から苦の坂へ進軍、これに対する長州軍の約250の兵が、小瀬村の小原に進軍しました。
その夜、高田軍が山頂へ1,000の兵を進軍させているとの報告があり、長州藩遊撃隊が翌14日の早朝に攻撃をしかけ、激戦の末、小方に追い落としました。
四十八坂古戦場と残念社

残念社は、慶應2年7月9日、軍使として単騎長州藩に向かっているところを狙撃され、死亡した宮津藩士・依田伴蔵を祀った祠です。
和平を伝えるという使命をはたせず亡くなった依田伴蔵は「残念」と言って息を引き取りました。これを知った長州藩は誤って射撃したことについて遺憾の意を伝え、村人たちは供養のためこの神社を建立しました。
四十八坂古戦場は、芸州口の戦いの激戦地のひとつであり、ミニエー銃を装備した長州藩と、幕府側の紀州藩が互い引かず、互角に戦った場所です。
大願寺

長州征討中に14代将軍徳川家茂が、大阪城で亡くなり、幕府側は勝海舟に長州側との停戦交渉を依頼しました。その舞台となったのが、宮島の大願寺でした。長州側も、勝海舟に敬意をはらい、停戦交渉は成功しました。
四境戦争とは直接関係ないですが、厳島神社も近くにあり、セットで見物するとよいです
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